2019年05月13日
和心の像 北館大学助利長
北館大学助利長
山形藩主・最上義光の家臣。義光が庄内を支配した後、狩川城主に任ぜられ、土地の不毛さを知り、灌漑のための調査を始めます。 調査には10年の歳月をかけ、「北楯大堰」の開削に着工します。その工事には4ヶ月が費やされました。 そして、ついに荒野は大穀倉地帯として生まれ変わります。
米どころ庄内平野の水田約8千ヘクタールが、現在もこの堰の恩恵をこうむっており、利長は「開発の恩人、水神様」として、庄内町狩川「北舘神社」の祭神として奉られています。
今でも狩川城跡(楯山公園)の利長像が利長自身が心血を注いでつくりあげた水路とその支流、その恵みを受けた美しい水田を見つめています。
(引用ナビしょうない)
今日は綺麗なツツジが咲いて居ました。
是非和心に見に行ってみてくださいね。
山形藩主・最上義光の家臣。義光が庄内を支配した後、狩川城主に任ぜられ、土地の不毛さを知り、灌漑のための調査を始めます。 調査には10年の歳月をかけ、「北楯大堰」の開削に着工します。その工事には4ヶ月が費やされました。 そして、ついに荒野は大穀倉地帯として生まれ変わります。
米どころ庄内平野の水田約8千ヘクタールが、現在もこの堰の恩恵をこうむっており、利長は「開発の恩人、水神様」として、庄内町狩川「北舘神社」の祭神として奉られています。
今でも狩川城跡(楯山公園)の利長像が利長自身が心血を注いでつくりあげた水路とその支流、その恵みを受けた美しい水田を見つめています。
(引用ナビしょうない)
今日は綺麗なツツジが咲いて居ました。
是非和心に見に行ってみてくださいね。
Posted by あまるめホッとホーム at
11:45
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